縄文からつながるアイヌの思想と文化

自然と共生し、縄文の精神性を受け継ぐアイヌ文化は、和人(本州に暮らしている人々)のものとは大きく異なるものでした。中世アイヌの人々は、大陸や本州と自由に交易を行ない、中国からの絹製の服や本州の漆器などを入手していました。その後、蝦夷地(現在の北海道)に移住した和人が交易権を独占するようになり、和人の政治的、経済的支配が強まっていきました。さらに1869年、明治政府は蝦夷地を北海道と改称、アイヌ民族の和人への同化政策をとっていきました。

そうした中でも、アイヌの人々は、先住民族としての独自の信仰や生活文化を今日まで守り、継承してきました。

国土交通省「北海道の歴史」引用

アイヌ(アイヌ語: Ainu / Aynu, ロシア語: Айны)は、もともと北海道のみならず、北は樺太、北東の千島列島、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族である。

アイヌは生業から得られる毛皮や海産物などをもって、黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の先住民族のイテリメン族と交易を行うなど、永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[4]。そして、和人とも交易を行い米などの食料や漆器、木綿、鉄器などを入手していた。

19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が列強の政府によって各国に編入され、19世紀中頃にはアイヌも同様の運命をたどった[5]。すなわち1855年日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下[6]、各々の領土が確定した以降は、日本国民またはロシア国民となった。

アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、文字を持たず、物々交換による交易を行う。独自の文化を有する[7]。母語はアイヌ語。独特の文様を多用する文化を持ち、織物や服装にも独特の文様を入れる[8](かつては、身体にも刺青を入れた)。家(住居)(アイヌ語で「チセ」)は、(昭和期以降の学者らが)「掘立柱建物」と呼ぶ建築様式である。

現在、アイヌは日本とロシアに居住する「少数民族」であり、日本国内では北海道地方の他に首都圏等にも広く居住しているが、その正確な数はわかっていない。

日本の国会は、2019年(平成31年)4月19日にアイヌ民族を「 日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族 」と認定して支援を行うアイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律を制定した。

Wikipedia「アイヌ」引用

Spirit of freedom 北海道

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